静岡県浜松市 長楽寺 馬頭観音
「責任」という言葉は、言わずもがな「引き受けてしなければならない任務」と辞書にも書いてある。「親としての責任」「責任を重んじる」などとも書かれている。
親としての責任は、子どもたちが成人して所帯を持てば、一人前になったとして親の責任は一応果たしたことになるが、家族のため他人のため、果たすべき責任は死ぬまで付きまとう。
現代では「社会的責任」という言葉がもてはやされる。その範囲は広く、組織と個人とでは大きく異なる部分も多い。
企業の社会的責任の一つに、公正で環境などに配慮した経営活動を行うべき責任がある。具体的にはコンプライアンス、環境保護、消費者保護、労働安全衛生、人権擁護などがあげられよう。
個人の社会的責任は、いわゆる公序良俗に反しない生き方をすることだと思う。罪を犯せば当然に刑事責任などを問われるし、法に触れなくても、非道徳的な言動によって社会的な制裁を受けることもある。
また、自己責任という言葉があるように、自分自身の行動により発生する影響や結果の責任は、自分がとらなければならない。他人はその内容に関し一切関わらないということである。仏教の言葉の中に「自業自得」「因果応報」というのがあるが、まさにその通りだと思う。
かと言って自己責任なら何をしてもいいかというとそうはいかない。家族や他人とのかかわりを、生きる智慧を働かせてよりよい方向にしていくのが、人間の生活の知恵であり責任を果たすということであろう。
高齢化とともに、いつどこで倒れるかもしれないと思うと、責任ある仕事或いは役割を担うことに躊躇することがある。
いま、自治会顧問、非行少年更生支援団体の研修部長などの役割を担っているが、もしものときに迷惑をかけてはと思ったりする。些細なことだが、今月半ばに小学校クラス会東北一泊旅行があり、幹事の私が行程表、新幹線切符などを持っている。もしものときに判らないでは困る。カミサンと情報を共有化、お互いにモノの在り場所もわかりやすいようにしている。
今日、NHKテレビの録画「団塊スタイル」を見て、家族の遺品整理に負担をかけないよう生前整理の大切さをあらためて感じた。親として、配偶者としての責任である。